あの日、私は神奈川県にいました。
東京の本社から離れたオフィスビルの片隅で、先輩2人とパソコン作業をしておりました。
パーテーションからの変な音と共に、いきなり揺れ始めました。
ゆっくり大きく横に揺れている感じでした。
パソコンや照明も消えました。
地震です。
すぐに収まるだろうと思い、イスに座ったまま待機…けれども長い…
揺れが弱まったと思い、フロア内を確認する為ウロウロしていたら、今度は揺れ方が速く激しいのがきました。
立っているのもやっと。
大きく重いはずの複合機も、キャスターがついているかのように左右に往復を繰り返しています。
これはヤバイと思い、なんとか机の下に…
揺れが激しいから、ここら辺が震源地なんだろうか…?
ビルの7階だから激しく感じているだけなんだろうか…?
揺れが収まった頃、窓から外を見てみたら、今いるビルから次々と人が出てくるのが見えました。
避難指示の放送もなく、指示を仰ぐ上司もいない…
先輩と相談して自分達もとりあえず、外に出ることに…
エレベーターは停電で止まっていたので、階段で降りることに。途中で疲れてちゃう先輩…
階段の壁は至る所にヒビが入っていました…
外に出て振り返ると、ビルはコンニャクみたいに揺れていました…
先輩は、耐震性のある建物は揺れるんだよ。と教えてくれましたが…
理由が分かっても、気持ち悪いと思いました…
そのくらいビルが揺れていました。
スマホを観ていた先輩が、私達にも一緒に観るよう促しました。
映画かな?と思いました。
津波の映像でした。
その時ようやく、ここが震源地では無いんだということを知りました…
電話は通じず、メールも送れず…
電話が着ているという通知はくるのですが、出ることもかけることも出来ませんでした。
SNSに書き込みは出来たので、家族にはそこで無事を知らせました。
しかし東京にいる上司に連絡する方法はありません。
定時まで待ったけど、電気もネットも復旧せず…
仕事にならないし、帰ることに…
帰ろうとすると、同じフロアにいた人が
帰りの方向が同じだし、タクシー呼ぶから一緒に帰ろう。電車止まっているし。知り合いの運転手だからすぐ来るよ。
と、誘ってくれました。
先輩方は方向が違う為、そのまま帰宅。
タクシーが来るまで待っていたのですが、なかなか連絡が着かなかったようで…
結局、タクシー使うお客さんが多くて、こちらには来れないとのことでした。
待っている間に、辺りはすっかり暗くなり…
タクシーを誘ってくれた方は、そのままこのビルに泊まる勢いだったので、一人で帰ることに…
寮まで一駅。電車だと10分程度。
歩いて帰るのは初めてだけど、なんとかなると思いました。
停電で真っ暗。信号も街灯もついておらず、車もあまり通りません。
なんとなくの方角でひたすら歩きます。
途中で見つけたコンビニは、レジの所だけライトを付け、電卓で計算していました。
食料品はほぼ売り切れていました。
残っていたモノを、購入。
もちろん、ニコニコ現金です。暗くて小銭出すが大変でした。
2〜3時間くらいかかったかなぁ?
寮に帰ると、管理人さんが心配して出迎えてくれました。
もちろん、寮も停電です。
管理人さんのアドバイスを受け、スマホで足元を照らしながら、5階の部屋へ…
次の日の朝も電車が止まっていたので、初めてバスで昨日のビルに出勤。
都会のバスって、乗りやすいように停留所で傾いてくれるんですね!ビックリしました!
やっと、辿り着いたビルは…閉鎖になっていました…
…なんか、連絡欲しかった…
通信は復旧していたので、上司と先輩方に連絡。
ビルに置いてきたパソコンがないと仕事が出来ないので、その日は休みを貰いました。
そのまま、バスで帰宅…
今、思うと、全てにおいて後手に回っていました。
周りの様子を見て、指示を待って…
机の下に避難するのでさえ、周りがしていなくて、恥ずかしいし…すぐに揺れは収まるだろうと軽く見て…
実際の地震は、訓練通りに行きません。
自分で素早く判断して行動する事も大事なんじゃないかと思います。
あの地震の半年後に、仕事を辞めて地元に戻りました…
色々理由はあるけれど、あの地震が大きなキッカケにもなりました。
きっと、あの地震は多くの人の人生を変えてしまったんでしょうね…
いつ大きな地震が来るか分かりません。
火山も噴火するし、台風だって来ます。
どうか、どうか、被害に合う人が一人でも少なくなりますように!
あの地震をキッカケに減災する為、多くの避難場所が作られているそうです。
天災は避けられないモノかもしれないけれど、それでももう来ませんように!
近頃、大変なコトばかり起こるけど、
皆で力を合わせて乗り切る事が出来たらいいなと願います。